Thursday, 12 April 2012 01:43

No.9:人間の集団行動を予測

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前回「何のための情報か」という内容を掲載したが、そもそも人間の詳細な行動が記録されたのはいつ頃かというと、1990年代後半からだという。インターネットが急拡大したきっかけとなったマイクロソフト(OS)の普及だ。あれから現在に至る過程でパソコンからスマートフォーンへとその主役は変わり、人間の詳細な記録はさらに飛躍的に増え続けている。ビルゲイツ氏は当時「ライフログ(生涯記録)」という表現をしていたが、現在は人々の行動パターンを様々な角度から予測する「ビックデータの活用」と変化している。人間の社会活動や経済活動での様々な振る舞いを化学的に研究してビジネスに活かしていこうという試みだ。個々の人間は意思をもって日々行動、粒子ほどの単純な物理的法則に従った動きはしていない。それゆえ、人間の行動は複雑だ。
ニュートンも株で大損したとき「私は天体の動きは計算できるが人間の狂気ばかりは計り知れない」と発言した。過去、人間の狂気を客観的に観測する社会的なインフラはなかった。しかし、今それができるようになった。

現代の金融市場は、インターネットでつながった巨大なコンピュータであり、そのコンピュータを介して注文が処理される。取引が成立した注文情報や成立しなかった注文も含め全ての記録が正確にタイムスタンプ付でコンピュータのハードディスクに保存されている。ドル円為替取引レートは、日に1万回変化し平均更新間隔は数秒で過去の100万倍以上だ。ここには膨大な情報があるが、この価格変動の理論をランダムウォークと呼ぶが、ディーラーがトレンドを追いかけるトレンドフォローは基本的な人間集団の行動特性を表わす。市場トレンドが形成されたと判断したとき、価格変動は大きくなる。ニュースや事件がきっかけとなりトレンドフォローが形成され何もなく自発的にトレンドが形成されることもある。トレンドフォローの戦略をとるディーラーが多いとき、市場価格は不安定になる。インターネットで入ってくる金融市場の情報をリアルタイムで計算処理し、今現在の市場の安定、不安定、方向性を持った価格の動きがあるか否かを定量評価し可視化する。こうした技術が進歩し、時系列変動から市場参加者の戦略推定がある程度正確に観測可能となり、人間行動のモデルシュミレーションにより個々の戦略が市場に与える影響の因果関係が解明されていけば、暴騰、暴落が起こらないシステムを構築する上で重要な基礎研究になる。人間一人ひとりの相互作用が弱く、お互い影響を与えない状態では集団としての特性は観測できず、個性はばらばらだ。だが、ニュースなどで、ひとたび集団の中に同じ意見や価値観が形成され始めるとばらばらで確率的だった人間同士に強い相互作用が働き、あっという間に動的な集団的振る舞いをとるようになる。それは既にソーシャルメディアの世界で具体的な行動として影響を与えている。人間生活の最も関係が深い金融市場の大規模データを観測すれば個々の人間や集団の振る舞いの中に普遍的な人間の行動特性が数多く見つけられるだろう。

 

Friday, 06 April 2012 09:37

No.8:何のための情報

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情報爆発とか情報洪水という言葉が示しているように「膨大(ビック)なデータ」が、世の中を覆い尽くしている。が、より早く、より多く、より価値のある情報を手にできることが何かを生むかというと、「生活が良くなる」「情報によって生活が便利に豊かに刺激的になる」といったたぐいの話になるが、それは本当に良くなるのか。情報によって満たされる生活とは、情報がなければ、それが成り立たない空疎な生活である。外からの情報で本当に満たされるのか。「頭が良くなる」「情報によって知性が活発に柔軟になる」、情報によって動き出す知性とは、情報によらなければ動き出せない。外からの「情報なし」では考えられない知性が本当に賢いのか。情報によって生活が豊かと思っている人々は、その生活が空疎に気づく。情報によって機敏であると思っていた知性は、それが自己の無能であることに気づく。情報は所詮情報だ。

何もないところから感じ、何もないところから考え、何もないところから創造する。人間本来の能力である野生の能力とは本質的に異なる。われわれが生まれて死に、自分はひとりである、という人間の基本的条件は何一つ変わっていない。普段の鍛錬を通じて自己の倫理観をよりよく優れたものにすること、それを忘れている。情報は知識ではない。情報社会(インターネット)によって実現する平等社会とは実力本位の競争社会、余計な障害物が減っただけだ。情報は知識ではない。情報は外から与えられたもの。知識は自ら考えて知るもの、情報は流通するが知識は流通しない。流通する知識は知識ではない、すでに情報だ。考えて知るとは自ら考えて知ることを意味する。情報と知識とでは、知る過程がまったく正反対を向いているわけで、その差が無知と知の差だ。人は多くのことを知っているというが、「何を」知っているのか。私たちは「何のために」競争しているのか、それを知っているのか。情報爆発とか情報洪水で蓄積された様々な情報であるが、洪水の引いたあと残っているのは、あれこれの情報内容ではなく、普遍的な人間の知識(知恵)であること忘れてはならない。

 

Sunday, 18 March 2012 20:46

No.7:暇を味わえる社会

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少子高齢化、お年寄りが増え、時間の使い方が大きなテーマの一つになっている。そもそも人間は自然と共生して生きてきた。しかし、人間は道具を手にしたことで「効率」を生み出した。その結果、自然の余裕を壊してしまうことになった。道具は巨大技術となり、それを操る人間は国や企業などの組織のもとで、さらなる効率を追い求めて励む。その結果、大気や生物圏を損ねるだけでなく、自らの心身をも傷めつけることになった。道具と汗によって得た豊かさとは何だったのかが問い直されている。自然界の余裕を失わせるまでに励みすぎた今、人間はしばし手を休めて「怠け者」になったらいい。その「ゆとり」が心にも潤いをもたらす。

これは、2000年3月に掲載された朝日新聞「怠けの価値」から抜粋した内容であるが、その時のテーマは「余暇社会について考える」でした。仕事と休養のほかに「暇」という時間を持ったことを考える、それをゆったりと味わえる社会を築きたいというのがメッセージであった。明日の労働のためのリクリエーションの時間だった「余暇」が、成熟社会での自己実現や人間関係作りなどのための時間とみなす、「自由時間」へと転換が進むという。自由時間は、自己責任で多様に楽しむのが基本ということで、これまでの「暇」は、仕事の余りの時間であり「暇つぶし」「持て余し」だった。自由時間としての暇は、それ自体を楽しむ、そのことを通して人生にゆとりが生まれ、世が潤う。つまり、遊びの時間を社会に定着させるには、仕事の分かち合いや時間短縮など労働環境の整備が必要ということになる。それは行政や企業の役割であるが、出発点は自分の時間を大切にすることである。

 

ジョブズと一人の禅僧の僧侶、乙川弘文の物語。二人の共通点は「一匹狼」「であり「反逆児」、二人が心をよせあったのは自然のこと。物語は、カリフォルニア州にある「タサハラ禅マウンテンセンター」の禅道場で座禅をしながらさまざまな体験、経験を積む。弘文との問答は、抽象的なものばかりで、「間」「無」「空間」「関連性」などに関して「感じる」ことを中心に学んだ。その結果、歩行禅(経行:きんひん)の体験から「iPodの円形の操作盤」を発想。また、弘文の問答に「Yes、No」で捉えたことに対し、「それは不条理、それが無」と言われ、ジョブズよく理解できなかった。が、その経験からアップルを復活させた大きな決断ができた。1997年夏、ジョブズがアップルに復帰後の決断である。それは、複数あった商品を4つに絞り、ただそれだけのために2年間は働いた。結果、iMacが誕生、当時もっとも売れたコンピュータになった。

 その後、再び禅センターにて、書道を学ぶ。「書は人なり」=>迷いがすぐに形に表れる、やり直しがきかない、その瞬間に書いたことがすべて、一回限り。ジョブズが書いたのは「誤」。うまい下手ではない。半紙に書かれた「誤」を取り巻く空間、禅堂の中に空間、禅堂は空間と空間に造られたものから成る。つまり、建造物と空間が融合したのが禅堂。空間に存在するものと、存在しないもの、この二つが関連性を感じる。ジョブズは、このような弘文との問答から「空間」を掴めた。それがきっかけとなったかはわからないが、iPod、電話、インターネット・コミュニケーターの3つを融合させたiPhoneが誕生した。ジョブズは、「間」から「空間」を捉え、そこには「存在するものと、存在しないもの,この二つが関連性を感じること」を形にしたことになる。iPodは、存在するものが物理的な機械、つまり「iPod」で、存在しないもの「音楽を自分が持ち歩く」ことを形にしたことになる。そして、革命的な機械「iPhone」は、空間に存在しないものを次々と創造していく「コミュニケーター」機能を付けたことで、「関連性がすべてを形作る空間」を演出したことになる。この関連性がこれからのビジネスにおいて非常に重要なキーワードになることを示唆していることだと思う。ある雑誌でグーグルのシュミット会長が「新しい時代における「幸せ」は唯一『偶然の出会い』からしか得られない」と発言したことに、、シュミット氏も、この関連性に気付いていたのではないかと思う。スマートフォンはパソコン、携帯電話を融合させ、新しい関連性を作り出している。この新しい関連性の空間をどのように攻略するか、すでに戦いは始まっている。

 

Friday, 24 February 2012 23:39

No.5:「ぶた鳥」は警告する

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今から四百数十年前、南海のある無人島にオランダ人が初めて上陸した。そこには鳥が異常に繁殖し、鳥だらけの島だったが、奇妙なことに鳥は、羽はあるが飛ぶことができないのだった。丸々と太って走ることもできず、歩くのがやっとの滑稽な鳥だった。しかし、鳥たちは幸せで、天敵がいないので逃げる必要もなく、食べ物もいくらでもあるので、エサを探す必要もなかった。オランダ人はその鳥を「ぶた鳥」と呼んだ。食べてみると脂がのってうまい。捕まえてせっせと本国へ運んだ。島中至る所にいた鳥は、わずか数年で絶滅した。実話である。この「ぶた鳥」の話は現在の私たちに厳しい警告を与えている。

 一つは、人間も動物も本来は怠け者だということだ。動物は敵に襲われる心配がなければ動かなし、食べ物が十分あれば寝ている。ぶた鳥は飛ぶことも、歩くこともやめようとしていた。人間も同様に、できることなら苦労したくない、少しでも楽をしたいと、考える。二つ目は、人も動物も環境に順応するということだ。厳寒の地に生きる動物は皮下脂肪を厚く貯え、体毛を長く伸ばして寒さから身を守る。ペットフードを与えられて育った猫は、敏捷な動きができなくなり、ネズミに出会うと腰を抜かす。ぶた鳥もよちよち歩きしかできなくなったのも環境に適応してきたからだ。人間も同じである。厳しい環境は人を強くし、ぬるま湯の環境は人を弱くする。人は短期間でその環境に順応する。三つ目は、人や動物の機能は、使わなければ必ず衰えるということだ。足を使わなければ足が弱くなり、頭を使わなければ考える力が衰える。使わなければ衰えることを「廃用性萎縮」という。ぶた鳥は飛ばないから飛べなくなった。人間も、恵まれた環境で「楽をしたい」という本能のままに生きれば「ぶた鳥」になる。

 

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