余暇から自由時間「成熟社会での自己実現や人間関係づくりなどのための時間」へと転換する。問題は、それを日常生活の中に取り入れるための具体策。リストラ、就職難などが深刻な世の中で「自由時間」などとのんきな事を言ってられるかでもある。しかし、そういう時代だからこそ、生活様式を変えていく事を考える必要がある。自由時間は、自己責任で多様に楽しむのが基本。海を眺めてもいい、空想してもいい。政策で誘導されては、自由ではない。

これまでの「暇」は、仕事の余りの時間であり、「つぶし」たり、「もてあまし」たりした。自由時間としての暇は、それ自体を楽しむのだ。その事を通して人生にゆとりが生まれ、世の中が潤う。遊びの時間を社会に定着させるには、仕事の分かち合いや時間短縮など、労働環境の整備が必要だが、まずは、各人が自分の時間を大切にする事だ。ライオンと違って、人には「稼ぎすぎ」遺伝子が染み付いている。それを和らげられるかどうかだ。地球の運命がかかっている。(2000年朝日新聞コラムから抜粋)

肉食獣のライオンが効率的に狩りをするように進化していたら、獲物を捕りつくし、自らも滅んでいただろう。肉食獣は、獲物が逃げる、狩りにしくじることで、自然の仕組みに余裕ができるように進化してきた。人間は「道具」を手にした事で「効率」を生み出した。その結果、自然の余裕を壊してしまう事になった。人間が手にした道具は、巨大技術となり、それを操る人間は国や企業などの組織のもとで、更なる「効率」を追い求めて励む。その結果、大気や生物圏を損ねるだけではなく、自らの心身をも傷めつけることになった。道具と汗によって得た豊かさとは何だったのかが,問い直される。

自然界の余裕を失わせるまでに励みすぎた今、人間はしばし手を休めて怠け者になったらいいのではないか。そのゆとりが,心にも潤いをもたらすであろう。私たちは休養を十分にとっているだろうか。本来、動物としての人間に必要な睡眠時間は,9時間半から10時間くらいと言われる。それからすると、日本人に限らず文明社会の人類は、慢性的な寝不足である。多くの事故の背景に、寝不足に伴う注意力の低下がある。睡眠不足は、ホルモン不調を通じて老化を促進する。夜型生活を享受しながら睡眠を確保するには,昼寝がいい。ナポレオンもチャーチルも,たっぷり昼寝をしていたらしい。昼寝をよみがえせれば、個人の健康や社会の安全だけでなく、省エネルギーにもつながる。職場、街での昼寝の環境づくりが必要だ。ライオンと違う人間の価値とは、何か。仕事と休養のほかに、「暇」という時間をもったことである。それをゆったりと味わえる社会を築きたい。(2000年朝日新聞コラムから抜粋)

スピードモードからスローモードへ、観劇、鑑賞などの教養の時代が来た。「情報から教養へ」である。巡礼型、回遊型の精神的な旅行が人気である。食は和食が大人気、健康モード流行である。同好会などのサークル活動も盛んである。中高年女性が経済を引っ張っている。シニアがリードする社会の到来である。若さから晩成へ、未経験から経験へ、即決から熟慮へ、独断専行から和へ、対決から調和へ、つまり社会の基本的価値観そのものが、西洋型から東洋型へ、若さ礼賛主義から経験尊重主義へとシフトし始めている。すでに食のキーワードとして注目されている「ご・ず・こん」(胡麻・豆・昆布の語呂をあわせ)、奈良時代からお寺に伝わる言葉だそうだ。納豆ブーム。納豆も奈良時代に中国から入って来た食べ物である。食の古代回帰が始まった。寝ても良い座禅も人気。高野山東京別院では、足を投げだして眠ってもいい、初心者に優しい座禅会を経験できる。真言宗式の瞑想は正式には「阿字観」と言い、禅宗系の座禅との大きな違いは「寝ても良い」ことだそうだ。これからはまず「シニアに聞け」である。団塊の世代が大量定年を迎えるという量的な発想ではなく、彼らの経験から生まれた知恵、発想、判断を重視せよということだ。そこには市場の泉あり、だ。シニアはサステナビリティ(継続)、シンビオーシス(共生)、ロングライフ(長寿)、エコロジー(循環)、など、今日の社会が必要とする「知」が埋め込まれている、「老馬之智」という言葉がある。昔中国の賢人が山で道に迷ったとき、老馬を放して道案内させて助かったという故事だ。

情報化、多様化、国際化、めまぐるしく変わる社会環境の中でマネジメントの変革が求められる。マネジメントは、その都度の問題に対して受身の解決ではなく、インタラクティブに経営状況そのものとの関係性を変化させていく先取型のアプローチが必要となる。多様な価値観が複雑に絡み合う経営環境は、「あるべき姿」が一義的に決まらず、目標が与えられず、何が問題か、何が目標や目的なのかもわからない混沌とした状況である。あるべき姿が明確なときとは正反対。そこでは従来の仕事の取り組み方は通用しない。つまり、メソトロジ(方法論)を意識的に変革する必要がでてくる。

漢字は3000年の歴史がある。漢字に語源があり、古代の人々の想いがある。それを知れば人として大切なことは、いまも昔も変わっていないということだ。人として大切なこと、心と心が響き合うこと、この「響く」とは?「響」は「郷と音」を合わせた漢字。では、郷と音はどういう意味か?「郷」これは、食卓(真ん中の字)を囲んで二人(両脇が人)で向き合っている一姿を表している。ご馳走を一緒に食べ会話(音)をやり取りすることで、心が伝わる、という意味。「音」の部分を食とすると「饗宴」で、ご馳走でもてなすという意味。食は生きていく上で最も基本となる大事な行為だ。その食をすることで相手知り、自分を伝えるというのは、コミュニケーションの原点と言える。つまり『響』は、家族一緒にテーブルを囲んで今日あったことをあれこれ話す家族団らんの漢字である。昔の家庭ではよくあった風景だ。しかし、現代では生活のパターンがそれぞれ違って家族そろって食事をすることが少なくなった。コンビニで買ったお弁当で夕食を済ませる。そんな弧食が郷の左の人がいない即です。即席、即時ですね。食事とは、本来は心に栄養を与えるものです。