2012/07/22(日) 19:29

No.21:持続可能な社会

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エアコン、冷蔵庫、自動車などあらゆる商品のテクノロジがエコになっている。そして日本人の環境問題に対する認識は先進国でも群を抜いている。しかし、家庭部門のエネルギー消費は減るどころか増え続けている。この状態を「エコ・ジレンマ」と呼ぶ。どうしてこうなるのか。一つはエコ商材、エコポイントもつくし、製品の効率も良く、もう一台となる。もう一つはテクノロジをどう使うかよくわからない。本来、人間らしく生きるためには豊かさが必要だ。豊かさのためにテクノロジがある。しかし、テクノロジを主にするのではなく、テクノロジがライフスタイルに責任を持たなくならなければ新しい時代が来ていると考えるべきだ。

地球環境問題には資源、エネルギー、食料、人口、水、生物多様性、気候変動という7つのリスクがある。このままでは2030年ごろに限界に達する。この7つのリスクにしたのは、間違いなく人間活動の肥大化。ですから心豊かに暮らしながら、人間活動の肥大化をいか停止、また縮小するかを視点に考えるべきだ。2030年という厳しい環境制約の中で心豊かに暮らす生活シーンを考える。そしてそれを構成するテクノロジを見つけ出し、地球に負荷がかからないようデザインしなおす。これがネイチャー・テクノロジ・システムだ。単なるバイオミミクリー(生物模倣)ではなく、ライフスタイルと一体化して生みだすテクノロジだ。その際、考慮すべきは「生活価値の不可逆性」という人間の欲の構造だ。人間は一度手に入れた快適性をなかなか手放せない。18世紀、英国での産業化革命は自然との決別、つまり、自然を奴隷のように使うことで成功した。テクノロジが初めて庶民のものとなり、大量生産、大量消費に向かった。今後は自然観と決別しない産業革命、大量生産、大量消費に向かわない産業革命は可能か。そのヒントは日本の江戸時代にあった。テクノロジは庶民化したが、八百万の神、自然のおかげで生きているという価値観を失わず、大量生産、大量消費に向かわなかった。自然のドアをノックすれば宝の山が転がっている。評論する時代は終わり、ネイチャーテクノロジを生みだし、それを使った新しいライフスタイルを次の世代に伝えるのも我々の使命である。

 

 

コミュニケーションの語源は、ラテン語の「コミュニス」あるいは「コミュニカーレ」、意味は、完全にフラットな立場ですべての情報を共有すること、とある。つまり、互いの情報を、100%伝え合うことで成立するのがコミュニケーションだ。これに対し「成立できていないコミュニケーション」は、御用聞き、押し売り、自分勝手なスタイルの場合である。コミュニケーションは相手があってこそ成立する。長期的なコミュニケーション・パートナーシップを構築するためには、そのメカニズムを知る必要がある。キーワードは3つある。イメージ(右脳)、科学(左脳)、心(心構え)であり、3つのバランスが一体化することである。一体化とは「調和」のこと。ここで重要なのが「心構え」だ。相手を知り、その相手と正対することである。ポイントは、「メッセージの受け手を知ること」「顧客の真のニーズは何か(クリスタライズ)」「イメージをポリッシュアップする(ブラッシュアップ:忘れていたものを思い出す。プリッシュアップ:自分の能力をより高めていくこと)」である。そして、3つ先の顧客を考える。

1つ先だけを見る「御用聞き」、2つ先まで見る「専門家として信頼」、3つ先を理解できたとき、「ビジネスパートナー」、になる。大事な事は「相手を知り、その相手と正対する勇気を持つ」ことであるが、それが簡単にできない。そもそも人間は、というより動物は相手に対する潜在的な恐れがあり、真正面から向き合うことがそもそも難しい。脳の働きには意識と無意識が存在し、脳による指令の多くは無意識の情報である(潜在的側面)。意識の典型は言葉を駆使することで、①表現を選択する、②今の状況を蓄積しておく短期記憶が必要、③過去の記憶と照らし合わせて最良のものを抽出する、という極めて高度な作業をつかさどる(顕在的側面)。が、人間の行動は無意識の塊で、動物のほとんどは無意識の行動に制御されている。すなわち相手に対する恐れという感情をコントロールしなくては、その感情を克服することはできない。したがって顧客と正対するには自らがかなり意識して、ある種の勇気をもって相手と向き合うことが必要だ。正対したコミュニケーションとは、単に情報を正確に伝え合うだけでなく、互いの長所や短所、課題を可視化、共有し、長期的に互いを高めるパートナーシップを構築することだ。メッセージは活きている。人の思いや魂が宿っている。しかし、伝える相手により適切な伝え方や内容、タイミングがあり、それを間違うと誤解される。バックグランドを共有していない相手とのコミュニケーションは、自己の信条や常識が優先し、とにかく互い主張ばかりの水掛け論になりがち。したがって、できるだけ歩みよるためには、まず互いが互いをイメージできる共通のベースを少しでも多く持つことが重要だ。数字やシンプルなロジック、相手が理解できる言葉など活用することだ。コミュニケーションの本質を一言で言うと、ホスピタリティ(相手を思いやる、もてなす気持ち)、相手をイメージし、ロジカルに検証しようとするモチベーションの源泉は、相手を思いやる心に他ならない。                    Thinki2009:No.28「三位一体コミュニケーション」から抜粋

 

これからどうなるのか、先のことはわからない。人間は英知によって文明を飛躍的に発展させた。この地球上で他の動物からは抜きんでた存在になったが、先のことはわからないという点では、現代人も原始人も全く同じレベルなのである。変化への予感が不安を呼び起こす3つの心配事。「健康」「子供の教育」「老後」。先のことはわからない。人は全知全能にはなれない。未来を知ろうとするあがき、わからなければわかるようになりたいと思う。これが人間の常だ。その情熱が文明をここまで発展させた原動力である。わからないから面白い。先のことはわからないから人間は面白い、人生は楽しい。人間は未来を描き、希望を抱き、それが原動力になって活気を呼び起こし、人生を、世の中を面白いものにしている。

知識と情報が教えてくれるもの。未来についての輪郭を掴む。新しく出現する事態に的確に対処していく、それが人物。では、どうすればよいか?まず、「知識」、そのための勉強、そして、「情報」、情報を掴むための努力である。何もわからない先行き。だが、わからないなりに起こった事態を的確に把握し、対処していくには、知識と情報は必須である。それを得る力がなければ、とても人物とはいえない。戦国時代の武将がいかに情報に敏感で、その収集と的確な把握に努めたか「すべての道はローマに通ず」である。

人と話すときには、心の底から誠実かつ信頼されるのでなければならない。行うときは、篤く人を敬い、謙虚でなければならない。論語の「言忠信、行篤敬」である。これは、万時に通用する絶対的な価値基準というものはなく、万時に対応できる心構えが大事なのだということである。その心構えとは、責任感、良心、志の3つあると思います。責任感とは、誠実誠意ことにあたり、そして、最後までやり遂げること、ゴールしなければ責任を果たしたことになりません。良心とは、「義」と「恕」、つまり、そのことが正義に適うものであり、相手に対して思いやりや、心を持って対応できるかということです。

何かをやり遂げようとすると、いくつもの困難な壁にぶつかる。利害関係者との調整と説得、説明と納得、議論、これらを乗り越えてゴールを目指す。その時、くじけそうになる心を奮い立たせてくれるのが志です。志は高ければ高いほどいいです。そして、それに加え「謙」と「信」、すなわち「謙虚」でなければいけません。自分ひとりの能力はたかが知れていることを自覚し、多くの人たちの協力を得ることが大事で、その基本が謙と信にあることになります。これからプロフェッショナルを目指す人は、まずは、志(目標設定を作る)を持ち、責任感を持ってことに当たる前向きな心構えが大事であることを理解することです。これすなわち、前向きな心構えは「Positive」の「P」、責任感を持つことは「Responsibility」の「R」、そして、志(目標)「Object」の「O」、これが「PRO(プロ)」ということになります。

 

「空気を読む」空気とは、空と気からなる言葉。空は空っぽ、なにもないところ「無」。何もないところから何かを生む。空っぽのところを働かせるわけだ。それが「創造」。たとえば、車のタイヤの空気、茶碗、器の空間、これと同じことを言っているのが家の窓や戸、住居は空間を使う。つまり、空っぽである「空」に意識を置いて「創造」していることになる。これが「創る」ということ。しかし、私たちは、器そのものに固執します。誰が焼いた茶碗、どこどこの窯で焼いた壷、器に注目します。茶碗も、塗りがいい、使った粘土がいい、形がどうだとか言います。しかし、これは素人の見方、名器かどうかを見分ける最後のポイントは、茶碗の深さです。それを「見込み」と言います。

名器は実際の深さよりもずうっと底が深く見えます。見込みが深い茶碗を「見込みがある」と言います。見込みがある、ない、はここから出た言葉。見込みの深い茶碗でお茶を飲むと風味がいい。茶碗が茶碗として用をなすのは「見込み」の部分ですから、まさにポイントを押さえた見方です。空気を読むとは、この「見込む」を引き出すことだと思います。ミーティングでも短気な人、気長な人がいます。この短気と気長は何か。短気は、呼吸の短い人、気が長いのは、呼吸が長い人。短気な人は呼吸が肩に上がっている。気長な人も怒ると呼吸が肩に上がる。「まあ、落ち着いて」の落ち着け、落ち着くとは、呼吸して吸い込んだ息が足の下まで落ちていって着くような呼吸をしなさい、ということです。そいう気持ちで呼吸するということです。つまり深く長く呼吸をすると、落ち着いた気分になります。人間を短気にしたり気長にしたり、落ち着かせたり落ち着かなくさせたりするのは、空気、つまり空っぽの空気の働きによります。空っぽ、「無」がいかに大事かということです。