2018/11/01(木) 10:00

■産業革命期の工場法が現代の労働問題に問いかけるもの ②

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産業発展の一翼を担った産業革命期の工場法

産業革命期の工場法は、直接には繊維工場における幼年児童の労働を禁止し、その他の児童、女性の労働時間を制限するにとどまる。しかし、「たいていの生産過程では児童や年少者、女性の協力が不可欠だったことから、実践の中で、全ての労働者の労働日も同じ制限に従わせられた」(マルクス『資本論』299)からであり、事実上多くの工場が操業時間を短縮した。このことが「資本(経営)」に一定の影響を及ぼしたことは否定できない。

工場法は「事実上」、全工場の操業時間を規制する。工場法反対論者は、「操業時間の短縮の結果として、生産の減少、工場稼働率の低下や操業時間短縮以前と同等の賃金を支払った場合の賃金の高止まりに伴う生産費の上昇、利益率の低下が引き起こされると予想される」と主張した。この予想は、完全に外れた。この時期、英国繊維産業は飛躍的な成長を遂げた。小麦の保護貿易政策である穀物法の廃止など一連の「自由放任」政策が産業の発展を支えたのは間違いないが、工場法を触媒としたそれぞれの工場の「自発的」な取り組みもまた産業の発展に一定の貢献を果たしたといえる。操業時間の短縮は一方で、生産技術の革新、労働者の作業能力向上のインセンティブの一つになったからである。

最も良く管理された工場では、より少ない費用で、より多くの生産をあげるための注意深い考慮が、あらゆる種類の機械を著しく改良し、生産力を大きく高め、「単位時間当たりの生産量は操業時間の短縮以前よりも増加した」(戸塚、1966、p.328)1と工場監督官報告書で度々指摘されているという。

また、労働時間の短縮によって労働者の作業能力もまた向上した。労働者の「健康は改善され、長時間労働のもたらした倦怠や疲労がなくなり」(戸塚、1966、p.328)注2、活力を増して、作業に集中することができるようになったからだ。労働時間の短縮がもたらした余暇の増大は、「教育や知識をえる機会に」向かった。労働者の教養水準の向上は、すなわち、労働者の質の向上は、英国綿工業の競争優位の源泉につながった。懸念された賃金の減少もわずかであった。全てを工場法の効果とすることはできないが、長期的にみても賃金は上昇傾向をたどった。

資本(経営)の側でも、生産システムの高度化に適合する質の高い労働力を確保するための新たな労務管理が模索された。

生産技術の革新にかかる研究開発や新たな生産設備の導入、新たな労務管理方式の導入は、投資支出の増大をもたらした。そのような投資支出に耐えられない零細工場は淘汰され、大工場への産業の集中が進んだ。その集中が「工場立法によって速められたことは明らかである」(戸塚、1966、p.328)注3という。

もっとも、「負の影響」を免れることはできなかった。初期の頃には「リレー制度」と呼ばれる細分化された労働時間に児童を交代で置く「交代労働制度」が生み出された(リレー制度は、1844年に改正された工場法に基づいて廃止された)。工場から解雇された大量の児童のうち、作業場や家内工業、下男、女中、農業といったより劣悪な労働現場になりやすい家内産業分野を含め、法の非適用分野に雇われた児童も少なくなかったと見られる。労働時間の短縮は、得てして労働強度の増大につながり、雇用の増大も、生産量の著しい増大からすれば、期待はずれであった。新たな生産設備の導入による熟練の陳腐化は、熟練労働者の失業、地位に固執する熟練労働者とその地位を脅かす非熟練労働者間の摩擦を引き起こした。

産業革命期の工場法経験の現代的意義

世界で最初の近代的な工場法が英国で成立してから180年以上が経過した。労働者保護をになう国際労働機関(ILO)の各条約への批准などを通じて、各国労働関係法の整備は進んだ。しかし、従業員やサプライチェーンの労働問題は、現代においては重要なESGの課題の一つと捉えられている。苛烈な労働環境や労働条件の問題は現在進行形であり続けている。たとえば、日本の外国人技能実習制度では、長時間労働や不当な拘束、最低賃金の不遵守といった労働権の侵害事例が相次いでいる。働き方改革関連法の長時間労働の是正も、過重労働に起因する「過労死」が社会問題化したことに促されたものだ。

グローバルに広がるサプライチェーンに転じると、たとえば、ロンドン金属取引所(LME)で売買されるコバルトの一部でコンゴ民主共和国の児童労働によって採掘された原料が使われた可能性が判明している。また、労働者の人権NGO「グローバル・レイバー・ジャスティス(GLJ)」などの調査によれば、2013年にバングラデシュの首都ダッカ近郊で複数のアパレル委託生産工場が入居する商業ビル「ラナプラザ」が崩壊した「ラナプラザ事故」以降、安全面は高まったものの、東南アジアや南アジアのグローバルなアパレル委託生産工場では、管理者などによる女性従業員への暴力やセクシャル・ハラスメントが横行しているという。

企業のESG課題への対応は、企業の自発的な取り組みによって支えられている。「人権を尊重する企業の責任は、 人権を保護する国内法及び規則の遵守を越えるもので、それらの上位にある」(ビジネスと人権に関する指導原則:国際連合「保護、尊重及び救済」枠組実施のために)とはいえ、「国際法」の下で直接に企業に責任を課すルールはない。

かのオーウェンは、労働者保護が利益追求に適合的であるからこそ、それを実践した。労働時間や児童労働の制限に何の立法がなかったとしても、「金銭上の見地だけからしても、ニュー・ラナークの労働時間を再び延長しようとは思わない」とさえ断言している。もっとも、1833年の工場法以前、立法によることなく、自発的な合理的配慮の取り組みによって労務管理が著しく改善した大工場がある一方、多くの工場、とりわけ小工場では、この取り組みが広がることはなかった。個別工場のイニシアティブだけでは、自由な産業発展を「促進」する労動者保護を実現できず、自由主義政策的な産業を促進するための法律、すなわち「工場法」を待たねばならなかったということである。

このことを企業活動やそのサプライチェーンがグローバルに広がる今日に当てはめてみると、「先進的な一部の企業で取り組みは進めど、グローバル一律に企業に適用される『国際法』がなければ、より強力な労働者保護は一般化しない」ということになるのだろうか。あえて日本の文脈に即していえば、「『働き方改革関連法』や、現行の『外国人技能実習制度』の雇用制度への法的変革を見なければ、より強力な労働者保護は一般化しない」ということになるのだろうか。

そもそも、資本(経営)の利益追求と労働者の権利保護が整合的であるならば、なぜ企業の自発的な取り組みは進まないのであろうか。この問いに対する答えのカギの一つとして、「金融」がある。そして、その先に、立法による労動者の権利保護の有効性の問題がある。

これらについて、あえて大胆に、産業革命期の工場法を巡る結果から読みとっていきたい。

産業革命期の工場法の成立に先立って先進的な工場で自発的に取り組まれた実践や工場法以降、工場で積み重ねられた実践の結果が現代の企業に問いかける意味は色褪せていない(次回につづく)。

参考資料 

National Archives “1833 Factory Act” (参照:2018-10-24)

菅野和夫(2016年)「特別寄稿 工場法施行百周年に寄せて
広報誌『厚生労働2016年8月号』日本医療企画 (参照:2018-10-24)

注:1.2.3 戸塚秀夫(1966年)『イギリス工場法成立史論―社会政策論の歴史的再構成』未來社