Monday, 12 November 2018 15:52

■産業革命期の工場法が現代の労働問題に問いかけるもの③

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現代の労働問題への対応は企業に利益をもたらすのか?

長時間労働の是正は企業に利益をもたらす。それが産業革命期の工場法の経験であった。

しかし、その利益は長期的に実現される。より良い労働環境と労働条件、十分な報酬でもって労働者に報いたとしても、生産性の向上につながる作業能力の向上をもたらすまでには、一定の時間がかかる。また、生産技術革新のための研究開発投資や設備投資が利益をもたらすのにも一定の時間がかかる。そのため、経営者には、「長期的な視野をもって」経営に当たることが求められる。長時間労働の是正に伴う研究開発投資や設備投資や人材投資が、企業に長期的な利益をもたらすという先見性とそれを実現するための戦略立案能力、実行力等の経営能力が必要になる。さらに、そうした投資支出に耐えうるだけの資本力をもった安定した企業であることが要求されるであろう。

このような「長期的な視野による経営」を可能にする条件が整っている企業は、現代においても少数派であると考えられる。その取り組みは先進的な企業を超えては広まらない。いずれかの条件を欠くとみられる多くの企業は、苛烈な労働環境や労働条件をものともしない労働関係に依拠した「近視眼的経営」を選択する可能性があるということだ。

このような事象は実際、産業革命期の工場立法下においても見られた。オーウェンに始まる労働者保護の実験的な実践は、利益追求に適合的なものとして、立法的手段によることなく、賢明な製造者の自発的な配慮によって、一部の先進的な工場になされた。しかし、それを超えて波及することはなかった。近視眼的経営に終始する経営による長時間労働による労働力の搾取、とりわけ、児童の酷使によって、幼少の頃からその労働力を疲弊させることは、長期的な視野をもって合理的な経営を志向する経営者からすれば、「悪貨は良貨を駆逐する」撹乱要因であり、自由な競争を阻害する「不公正な競争」でさえある。

長期的視野に立った企業経営の実現に金融が果たす役割は大きい

企業活動を、長期的な視野に立った「公正な競争」に導くうえで、金融の果たすべき役割は大きい。経済の長期的な価値創造をもたらすためのメカニズム「インベストメント・チェーン」のそれぞれの役割を果たすことが期待される。

労働者保護を起点として長期の投資支出に耐えうる資本力がありながら、長期戦略を立案、実行しない経営者に対しては、労働者保護を利益に結びつけるための投資活動に、毎年の事業活動を通じたキャッシュ・フローを仕向けるよう経営者に気づきを与えることができる。先進的な企業の取り組みの経験や知見を「一般化」、「体系化」し、それ以外の企業に広める機能を果たすこともできよう。モニタリングやエンゲージメント、株主総会における株主提案、議決権行使などからなるアクティブ・オーナーシップと呼ばれる株主行動にその先駆的な取り組みが見られる。

長期の投資支出に耐えうる資本力がない企業に対しては、長期の企業利益の追求に応えうる金融プロダクトを開発し、投融資活動を実施することで、企業の長期の資金調達ニーズに応え、その活動の方向性を調整することができる。マイクロ・ファイナンス、ソーシャル・ボンド、サステナビリティ・ボンドといった金融プロダクトに萌芽的な取り組みが見られる。超長期の社債という選択肢もある。

ただし、こうした活動にも限界がある。労働経済学の知見によれば、労働者保護は企業に長期的な利益をもたらす。しかし、市場の労働慣行上、雇用の流動性が高く、転職が簡単であるならば、より良い労働環境と労働条件、十分な報酬を提供し、従業員の技能形成と向上に十分な費用を投じたとしても、その努力は無駄になる恐れがあるという。その場合、近視眼的に労働者を酷使するほうが経済合理性は高く、短期的な利益の追求にも拍車がかかる。もっとも、労働の再生産もままならないような酷使は、継続的な労働力の確保を困難にするので、過度に雇用の流動性を助長することは望ましくない面もあり、雇用の流動性を抑える仕組みも必要になる。他社より高待遇を保障する、勤続年数に応じた賃金体系を導入するといった方策が考えられるが、その約束がきちんと果たせられるかどうかの保証はなく、個人の自由意志による転職を束縛することはできない。一方で、産業構造の新陳代謝を考えると雇用の流動性も必要になる。両者の価値は優劣をつけがたい。少なくとも、長時間労働の是正をはじめ労働者保護が企業利益につながらないことはなく、労働者保護の価値を減ずるものではない。(次回につづく)

参考資料

江口匡太(2007年)「コメント:工場法史の現代的意義」『日本労働研究雑誌』2007年5月号(No.562),独立行政法人 労働政策研究・研修機構(https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2007/05/index.html)

戸塚秀夫(1966年)『イギリス工場法成立史論―社会政策論の歴史的再構成』未來社